一般社団法人 日本アーユルヴェーダ学会

一般社団法人 日本アーユルヴェーダ学会

1999年10月3日(日)
奈良県文化会館
第21回日本アーユルヴェーダ学会総会第2日
特 別 講 演

現代医学からの脱皮

山 形 謙 二 

神戸アドベンチスト病院副院長

 

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 こちらで話すように頼まれたのですが、私がここで何が話せるかと色々考えたわけです。山内会長とは何回かホスピスという場で、今紹介ありました中島陸郎(註)さんを介しまして、お会いしました。


 こういう会があるから、話してくれないかという事でした。果たして私に何が話すことがあるか、と思ったわけです。    


 


 アーユルヴェーダに関しては、私はそんなに知識があるわけではありませんけども、私が外から見た感じはですね、アーユルヴェーダ一つは現代医学に対する、一つのアンチテーゼと言いますかね、そういうものを提出されているのではないかと思います。一つは治療医学よりも予防医学を重視していると言うこと、もう一つは、人間を分析的に臓器的に見るよりむしろ、全体的に見るというアプローチをしていらっしゃるんではないかと思います。


 一応私の方から何か話すことが有るとすれば、私自身、現代医学に対しての批判として、一つは人間を個別に見るのではなくて、全体的でみること、これを私自身の医療の課題として考えている訳です。もう一つは、医療というのは医者中心ではなくて、患者さんが主体となった医療、そういうものが有るべきだという風に考えています。 それで一応今回のテーマが「現代医療から未来医療」と言うところで、今の医療に対して一つ、私自身意見を言わせていただければ、「医者中心の世界から患者中心の世界へ」。そういうような医療を私自身は考えている所です。そういう観点から私自身やっているホスピス医療というものを紹介しながら、皆さんと上手く接点が合えばいいとは思うんです。私自身一方的な話になりますけども、後でデスッカションする中でお互いにそこの所を話して行けたら素晴らしいと思いますね。
 現代は癌というのは日本の死亡原因の第一位ですね、3人に1人は癌でなくなっている。非常に癌死というものが問題になってきている。3人に1人は亡くなるという、その癌の終末期をどういう風に過ごすのか、本当に人間的に尊厳を持って死ぬことが出来るのかどうか、そこが今大きな問題として浮かび上がってきています。


 私達も、ホスピスがまだまだ日本では普及していない医療ですけども、終末期医療という問題に対して我々になにが、どう言うことが出来るか、ということを今、社会への問題提起として投げかけているんです。


 ここに現代終末期医療の問題点として、2つ挙げておきました。 まず過剰な検査と処置。スパゲッテイー症候群といわれるように、鼻から管が入れられ、口からもチユーブが入れられですね、それからおしっこの管が、点滴がでている、スパゲテイ症候群ですね、そして回りはモニターに囲まれている、あたかも戦場における壮絶な死なわけですね。 患者さんや家族がよく相談に来られます。最後の最後まで抗ガン剤を使ってですね、むしろ病気の苦しみよりも、抗ガン剤の苦しみで亡くなって行くと言うような、患者さんも多くあるわけですね。2番目は終末医療に対する医療者の無関心、そんな中で本当に患者さんの為の医療とはどういうものなのか、それを考える必要があるんですね。 現代医療というのは、治る見込みのある患者さんに対しては一生懸命やります。しかしいったん治る見込みのなくなった患者さんには興味が無くなってしまう。


 よく私の所に相談にこられる患者さんはおしゃるんですね、「病院では何もすることがありません、どうか他の病院に行ってください」と言われる。いったいどうしたらいいんでしょうか? 本人は怒りや苦しみですね、どうしたらいいんでしょうか?そういう相談がきます。 私自身はですね、患者さんが命を持っている限り、生きている限りは、やることは幾らでも有ると思うんです。生きている人間を前にしてやることがないというのは、決してあってはならないですね、治すための医療が出来ないとするならば、患者さんが出来るだけ苦しまないですね、なるべく安らかな命を全うする事が出来るような医療を考えなきゃいけない。そういう風に思うわけですね、ここにニューヨークで亡くなった女性ジャーナリストの千葉敦子さんの引用を書いてきました。

 彼女はこういう訳ですね、「何がなんでも、今の日本の状況が続く限り日本では死にたくないと考えます。一人の医師やナースの問題ではなく日本の病院全体が、患者を対等な人間として扱っていなからです。そんなに死が恐ろしくないと感じている理由は、医師達が私に嘘をついたり、隠し事をしないと言う確信に基づいています。私に何が起ころうともきちんとしたした説明がなされると言う確信、これ程心静まるものがあるでしょうか、逆に医師との信頼関係なしに死を迎えるとしたら、これ程苦しいものが無いのではないかと思います。一つの文化の高さを計る尺度は色々有ると思いますが、国民が豊かな気持ちを抱いて死ねる社会が建設できれば、その文化は非常に深い水準にあるといえるのではないでしょうか」。


 現代の日本の医療に対する一つの彼女が批判しているわけです。 彼女は元々東京で乳ガンの治療を受けていましたが、その治療も満足することもできず、彼女はアメリカのニューヨークに行き、ニューヨークで癌と闘いながら亡くなったのです。彼女は、日本における医師と患者の関係を批判しています。これが本当に良い信頼、本当に対等な関係が出来るかということですね。 彼女は、日本の病院全体が患者が対等な人間として扱っていない。そこら辺に一つの日本の医療の問題点が有ると思いますね。


 本当に患者さんが患者さんとして、人間として、尊ばれ、かけがえのない人間としての扱いを受けているかどうか、そこら辺が一つの問題提起として出てくるところですね。しばらく前に厚生省の編集によって、「働き盛りの癌死」という本がでました。これにはですね、愛する家族と共に癌と闘いながら、家族を失った1300人ぐらいの方々の手記が集められています。その中にいろんな人がいろんな問題を書いていましたけども、ある患者さんの奥さんはこう書いていますね、「医療の患者に対する対応がとても冷たく感じられた。本人は良くなろうと一生懸命なのに対し、もっと暖かい言葉かけや、忙しいのは解りますが患者の不安に対する、問いかけに答える時間がない、私達にとってはとても大切な命でした」「末期医療の患者に携わる医師や看護婦が本人、家族の痛みが解るような誠意のある診療治療をしてほしかった、誠意がまったく感じられませんでした」 柳田邦男さんはこの本について「この本は衝撃的なメッセージだ、読み終えたとき大群衆の叫びに接した時のような圧倒的な意を感じ、激しく心が揺さぶられるのを感じる」とこの本について、コメントしていました。


 本当にそこですね、日本の今、終末医療の抱える問題点が患者さんの側から提起されていると思うんですね。私達が今目指しているホスピスケア、ターミナルケアといわれるものは、終末を出来るだけ安らかに過ごしていただこうとする医療をめざしているものなんですけども、これは日本においても1990年代に入り社会から少しずつ認知されてきたと考えているものです。


 WHOは、緩和ケアとは、ホスピスケアとはどういうものかという事を述べています。


 ここでは、緩和ケアという言葉を使っていますが、「緩和ケアとは、治癒的治療、治すための医療ですね。治癒的治療に反応しない病気を持った、患者に対する積極的トータル・ケアですね。普通は治らない患者に対して何もすることはない。現代医療はそう言うわけですけど、いやそうではない、そういう患者に対して、積極的にトータルなケアをしていく。疼痛やその他の身体的な症状及び精神的、社会的、霊的問題をコントロールする事が最優先課題である。ターミナル・ケアの目標とは、その患者やその家族にとっての最高の生命の質を成し遂げる事であります。
 そういうことですね、このWHOの指針はそう述べているわけであります。そういう意味において、現代ホスピスが目指しているのは、次のページに書いておきましたけども、本当に患者さん達が最後の日を安らかに過ごせるように支えていく。


 その為には、患者さんを全人的に支えなければいけませんから、決して医者だけでは出来ないですね、医者を含めた看護婦さん、それから、ソーシャルワーカーとかですね。私達はチャプレンと言っている病院つき牧師さんも一緒に含めてます。それから理学療法士とかが加わってチームとなっているのです。その患者さんはどういう治療をしたらいいのか、それを共に考えていくところ、という風に考えています。ですからいうならば「いかに死ぬるか」よりも、人生の終末を「いかに生きるか」を援助するところ、すなわち死までの生を支えるものである。


 場所よりもむしろフイロソフィー、考えかたですね、建物よりも中味を私達は重要視しているわけです。そういう意味において、私達は終末期ホスピスの考え方、思想というものを主に、はホスピスと言うものを考えているわけです。そこにおいてまず考えるのは、第一は患者さんが主役であるということ。 それを考えるときに(レジュメの)一枚目と二枚目に書いておきましたが、まず患者の自己決定権を尊重する。自分で決定する、自分の人生で重大な決定は自分の意志に基ずいて決定する。


 二番目はインフォームコンセント、これはマスコミでよく聞かれる言葉と思いますけども、これは病気の治療法について、患者に充分な情報が与えられた上で患者と医療者の間で合意する。
 医療者と患者さんとの間に合意が成り立つ。 その患者さんの自己決定権あるいはインフォームド・コンセント、そういうものの基礎には患者さんと医療者とのパートナーの関係が必要ですね。 上から下へのパターナリズムの関係ではなくて、本当の対等の関係というものが、必要になってくるんですね。私たちが本格的にホスピス医療始めてから8年目に入っています。病棟を開いてからですね。 その前に5年間ぐらいホスピスチームを作って開設準備をしていました。 最初の頃は、1つの問題は「癌の告知」の問題が出てくるわけですね。日本においてはほとんど癌の告知がなされてないのです。


 私自身は1970年代のほとんど米国で過ごしました。米国で医療をやって日本に80年の11月に帰ってきて12月に日本で医療を始めたわけなんですけども、そこで大きなギャップを感じたわけですね。どういうギャップであったかというと、やはり1つは患者と医者の関係ですね。米国においてはどうしても医者と患者の関係は横の関係ですよね。お互いに医者は医者の世界の専門家でありますが、患者さんは患者さんの世界の専門家であるのですね。同じ1対1の一個の人間としての横の関係、そういうものが強かったんですけども、日本では日本のお医者さんは偉いですね。非常に偉い、だからなんですね、患者さんは医者に自分の言うことを言えないですから、患者さんは非常に遠慮していることが多いいですね。どちらかというと、例えば治療法でもほとんど医療者が主体ですね、まず患者さんに癌ということを知らせない。癌を知らせなければ治療法は誰が決めますか。ほとんどの場合は、医療者が決めて、それを家族と話し合う。家族と医療者が話し合って結論したことを患者さんに言うわけですね。  


 自分の命に係わる病気ですね。その治療法の決定に患者が参加する事が出来ないのです。 自分がある程度癌だと分かってきても周りに幾ら聞いても否定されますよね。最後は聞くこともせずに自分にこもっていってしまう。周りは最後の最後まで隠し通してしまう。 患者にとって一番大切な自分の生をどうするか、自分の生をどういう風に仕上げていくかという事を、なかなか日本の現状ではできない。以前ある患者さんがいました。他の病院から転院されてきました。私は一通りの検査が終わった後、その検査データーを基にして患者さんに説明して、こう言いました。 「じつはお家の方々は、御本人の事を思って今まで言わなかったのですが、実は癌だったんです」 ところが患者さんにこう言うんですね、 「先生、私知っていました。それで前の病院では、自分のベッドサイドにくる看護婦さん一人一人に同じ質問をしてみました、同じ答えが来るか、試していたんです」 看護婦さんというのは、患者さんに対して本当のことは言えないですよ、気を使いますから。私は一年に二回、兵庫県看護協会主催で終末期医療の講習会をしています。


 看護婦さん達が200人位来られるんです。そこでも休み時間なんか話すと言うんですよ、 「先生、私達は患者さんに言いたいですよ、だけれどもちょっと患者さんがわかったような口をすると医者に怒鳴られるんです、誰がそんなことを言ったんだと、看護婦は怒鳴られるんですから、私達は言いたくても言えないんです」。


 患者さんに言わないとどうなりますか。患者さんはだいたい看護婦さんに質問しますよね。医者にはなかなか質問しない、例えば胃癌の患者さんね、段々癌で腹水が溜まってお腹が張ってくる。患者さんは言いますよね、「段々最近お腹が張ってくる。どうしてなんですか」看護婦さんはどうしますか、ドキッとしますよね。本当のことを言ってはいけない。 「最近便秘しているんじゃないですか、それでお腹にガスが溜まっているんじゃないですか」 と言ってさっと帰ってくる、所が他の人とちゃんと口の裏あわせをしなきゃいけない。


 ですから、他の看護婦さんい「患者さんがこう言うことを言ったから、こういう風に答えておいた」と言う。別の看護婦さんがまた部屋に行きますよね、「最近食欲がなくなってきました。どうしてですか」。その看護婦さんドキッとします、 「さあ何と答えようか」。そうしているうちに、看護婦の意識はどうなりますか、行くのが恐くなってきます、何と質問されるか、何を言われるか、聞かれた時どういう風に答えるか。 ですからどうしますか? 点滴の袋を持っていってぶら下げたら、さっと帰ってくる、注射したらさっと逃げてくる。 こういう状況では、患者さんと医療者が本当に良い人間的関係を築くことが出来ない。この病気を隠すために注いでいるエネルギーどうやったら医療者と患者さんの良い関係が築けるかというエネルギーにを変えていかなければいけないですね。 私自身の経験からはですね、患者というのは癌を持っていれば解るんです。何時かは自分が命に関わるような、重大な病気は解るんです。 どっかで解るのです。最後まで隠しとうすか、あるいはどっかで言うか、どっちかなんですよ。 どっかで言うなら私、早い方が良いと思いますよね。以前も有る患者さんがいました。お嬢さん二人が面談に来られた。お母さんが大腸癌ですね。肝臓に転移して苦しんでみてられない、「どうか先生見てください」「本人はどのように理解していますか」「いや今ままで隠してきました。母は強そうに見えるのですが、実は弱いのです。母は癌と知ったら生きる望みを無くしてしまいます」。

つづき