プロレスの偉人・伝説的なスター性があるレスラーの経歴や偉業をまとめていきます。
プロレスは時代とともにスター選手が誕生しています。
年代によっては好きなレスラーも変わりますが、普遍的にカリスマを持つレスラーはプロレス好きなら誰もが知っている方が多いですよね。
この記事ではカリスマ性・スター性を兼ね備えたレスラーの経歴や過去の偉業をまとめていきます。
今回ご紹介するレスラーは「アントニオ猪木」さんです。
言わずと知れた超ビックネームのレスラーとして君臨するアントニオ猪木さんは若い方なら政治家としてのイメージのほうが強いのかも知れませんが、猪木さんの経歴をまとめていきますね。
目次
アントニオ猪木の経歴
リングネーム | アントニオ猪木 |
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本名 | 猪木 寛至 |
ニックネーム | 燃える闘魂 |
身長 | 190cm – 191cm |
体重 | 102kg – 110kg |
誕生日 | 1943年2月20日 |
年齢 | 77歳(2020年12月現在) |
出身地 | 神奈川県横浜市鶴見区 |
所属 | フリー |
スポーツ歴 | 陸上 |
トレーナー | 力道山 豊登 サニー・マイヤース カール・ゴッチ |
デビュー | 1960年9月30日 |
引退 | 1998年4月4日 |
新日本プロレスの創始者で、燃える闘魂として「1,2,3だー」という名フレーズを生み出して、猪木さんにビンタされたいという若者が列になって並んでいる光景をよく見たことがあります。
名実ともに超有名なレスラーとして君臨していた猪木さんには数々の伝説があります。
今では当たり前になっている異種格闘技戦なども猪木さんが最初くらいにやったと思います。
その相手はモハメド・アリという伝説のボクサーですから、驚きですよね。
アントニオ猪木のテーマ曲はモハメド・アリから貰った?
アントニオ猪木さんといえば、誰もがモノマネしたくなるような風貌とわかりやすい、メッセージ性の強い言葉が子供から大人まで誰も出やりたくなる人物ですよね。
更に入場曲として「イノキボンバイエ」という曲がありますが、誰もが一度は聞いたことのある有名な曲になっています。
お笑い芸人も真似するほど、有名な方で、しかもアントニオ猪木さんだけをモノマネする芸人さんもいるくらい影響力のある方です。
その入場曲はもともとモハメド・アリさんが入場で使っていた、「アリボンバイエ」という曲を猪木さんにプレゼントしたという話があります。
ボンバイエという言葉の意味はリンガラ語で「やっちまえ」という意味のようですね。
直訳すると猪木やっちまえ、という言葉ですから本当にピッタリの曲ですよね。
アントニオ猪木のレスラーになるきっかけ!
猪木さんは今でこそ、新日の創業者として有名で、レスラーとしても興行者としても、政治家として活躍する方でもありますが、そもそもレスラーになるきっかけは何だったの気になりますよね。
13歳のときに、家計が厳しいという理由でブラジルに一家で移住します。
そこでの生活はかなり過酷だったと本人の書籍でも話していました。
ブラジルに移住していたからこそ、遠征できていた力道山の目に止まりました。
力道山は猪木さんの背中を見ただけで逸材だと見抜いたと言われています。
相当完成された肉体だったと思いますね。
実際、アントニオ猪木さんの全盛期の肉体は、彫刻のような筋肉をされていて、レスラーとして最も美しい肉体美でした。
そこから、海外遠征など経験して、ジャイアント馬場さんとデビューが同じということも今考えるとすごい時代だったと感慨深くなりますね。
全日のトップと新日のトップが同じ釜の飯を食っていたというのはすごいことです。
アントニオ猪木はなぜあれほどまでにスターになった
アントニオ猪木さんのファイトスタイルは、燃える闘魂というくらいですから、かなり熱いです。
観客との一体感は相当なものでした。
更に無口なレスラーが多い中であれほどリップサービスが上手なレスラーはいませんでしたね。
猪木さんは後に猪木詩集などで名言をたくさん世に出されています。
その中でも「いつ何時誰の挑戦でも受ける」という名言は当時としてもセンセーショナルな言葉でした。
その言葉が影響して、襲撃されることも度々ありましたが、その積み重ねが生ける伝説となっているのは当然といえば当然ですよね。
アントニオ猪木の奥さんは芸能人!子供は何人?
アントニオ猪木さんは女性関係も破天荒でした。
3度の離婚経験があり、女優の倍賞美津子さんとの結婚・離婚もかなり話題になりました。
14歳年下の奥さんと籍を入れたことも話題になりましたね。
お子さんは娘さんがいらっしゃいます。
アントニオ猪木のレスラーとしての偉業
燃える闘魂、アントニオ猪木のレスラーとしての偉業をまとめていきます。
アントニオ猪木の必殺技
- フィニッシュ・ホールド(必殺技)
- コブラツイスト(アバラ折り:アブドミナル・ストレッチ)
- 卍固め(オクトパス・ホールド)
- 延髄斬り(闘魂キック)
- バックドロップ(岩石落とし)
- ジャーマン・スープレックス・ホールド(原爆固め)
- ブロック・バスター・ホールド
多用していた技
- グラウンド・コブラツイスト
- スリーパー・ホールド(裸絞め)
その他
- アーム・ブリーカー(腕折り)
- アントニオ・ドライバー(フロント・ネックチャンスリー・ドロップ)
- アリキック
- リバース・インディアン・デスロック
- ナックル・パート
- ドロップキック
- ニー・ドロップ
骨法技
- 浴びせ蹴り
アントニオ猪木の名勝負
アントニオ猪木さんの名勝負としてはかなり多すぎるので、日本では異種格闘技がまだマイナーだった頃に、先駆者的に戦いを挑んだ、アリ戦が印象的でした。
散々メディアにばかりされたり、禁じてを相手から支持されたり、下馬評を覆した、伝説の試合は実質猪木さんの勝利という印象が強かったですね。
あの戦いで生まれた「アリキック」は今でも伝説として語り草になっています。
当時はふたりとも一触触発ムードだったのですが、晩年はお二人の友情が硬いままであることがある番組で放送されて、目頭が熱くなったのを覚えています。
まとめ
この記事では日本の伝説のレスラー「アントニオ猪木」さんの経歴についてまとめていきました。
数々の伝説や、事業に取り組むレスラーとしての枠を超えた奇想天外なアイデアは本当に商魂たくましいという一言に付きます。
元気があれば何でもできるという名言は誰もが普遍的に感じることができる素晴らしい言葉ですね。
まだまだ頑張って欲しいものです。