プロレスの偉人・伝説的なスター性があるレスラーの経歴や偉業をまとめていきます。
プロレスは時代とともにスター選手が誕生しています。
年代によっては好きなレスラーも変わりますが、普遍的にカリスマを持つレスラーはプロレス好きなら誰もが知っている方が多いですよね。
この記事ではカリスマ性・スター性を兼ね備えたレスラーの経歴や過去の偉業をまとめていきます。
今回ご紹介するレスラーは全日本プロレスで活躍した「小橋建太」さんです。
トレードマークのオレンジ色のコスチュームと熱いファイトでファンを魅了した小橋建太さんの経歴や必殺技などをまとめていきます。
目次
小橋建太の経歴
本名 小橋建太
リングネーム 本名と同じ
ニックネーム 鉄人、熱き青春の握りこぶし、オレンジクラッシュ
身長 186cm
体重 115kg
誕生日 1967年3月27日
年齢 53歳
出身 京都府福知山市
リング入場曲 初代:「SNIPER」、二代目、四代目:「GRAND SWORD」、三代目:「BLAZIN」
プロレスラーになったきっかけ
小橋建太さんは、一度社会人として就職をしたあとに、レスラーとなった方です。
京セラへ就職をした後にどうしてもレスラーへの夢を諦めきれずに、会社をやめて体作りをします。
しかし、小橋選手のような大きい体でも書類審査では落選をしてしまいました。
後にジムの会長の推薦で全日マットに上がります。
地味なレスラースタイル
小橋選手は今でこそ数々の異名を持つスター選手として活躍していましたが、当時の小橋選手は特徴の無い選手で地味だった記憶があります。
レスラーとしてデビューする前からの苦労も相当なものでしたの、絶対に売れてほしい選手でもあります。
オレンジクラッシュという異名はパンツがオレンジ色であることと青春をイメージするはつらつとしたファイトスタイルがありました。
握りこぶしで相手をなぎ倒していく、逆水平チョップはかっこよかった。
当初は地味なファイトスタイルだったのですが、技の豊富さで言えば全日随一と言っても過言では似でしょうね。
レスラーの晩年では黒パンツで登場し非常な攻撃を仕掛ける「黒小橋」という名前をファンの間ではありましたね。
決して派手なファイトスタイルではありませんでしたが、小橋選手の試合は熱いものがありました。
惹きつける魅力は過去のレスラーを並べてみてもNO1だと思いますね。
小橋建太のスポーツ経験
小橋選手のスポーツ経験としては、柔道とラグビーでした。
高校生の時代には弁当を2つ持って練習するほどの大食漢でした。
小橋建太の性格
性格としては普段のファイトスタイルは熱いですが、温厚で他人の挑発には乗らない性格でした。
真面目な性格で特徴の無い選手でしたが、ひたむきに練習をする努力家です。
当時の逸話としては、川田利明が「あいつはダンベルを取り上げるだけで倒せる」という表現をしていましたが、後に全日本を牽引する存在になりました。
鈴木みのるの挑発にも乗らず、一目置かれる存在でもありました。
ファンへの対応も素晴らしく、欠かさずサインを求められたら答えている姿勢にファンも多いですね。
小橋建太の家族構成
奥さんは演歌歌手のみずき舞さんです。
お子さんは娘さんが一人います。
子煩悩な親としても印象がありますね。
小橋建太のレスラーとしての偉業
レスラーとして副社長として数々の伝説を残した小橋さんの偉業をまとめていきます。
小橋建太の必殺技
フィニッシュ・ホールド
- 剛腕ラリアット
- バーニング・ハンマー
- リストクラッチ・バーニング・ハンマー
- リアル・ブレーンバスター
- ムーンサルトプレス
- 延髄ギロチンドロップ
打撃技
- 逆水平チョップ
- 大根斬りチョップ
- 。
- 青春の一撃
- マシンガンチョップ
- ローリング袈裟斬りチョップ
- ジャンピングショルダーアタック
投げ技
- 長滞空ブレーンバスター
- ライスシャワー
- ダイヤモンド・ヘッド
- ブラック・クラッシュ
- 河津落とし
- オレンジ・バックブリーカー
- バーニング・ソード
パワーボム系
- パワー・ジャック
- オレンジ・クラッシュ
- ストレッチ・ボム
- ターンバックル・パワーボム
スープレックス系
- ハーフネルソン・スープレックス
- スリーパー・スープレックス
関節技
- ヘッドロック
- テキサスクローバーホールド
- どんたく固め
- カナディアン・バックブリーカー
- フルネルソン
フォール技
- ローリング・クレイドル
獲得タイトル
- 全日本プロレス
- 第16代・第19代・第25代三冠ヘビー級王座
- 第24代・第25代・第32代・第34代・第36代・第40代世界タッグ王座
- 第51代・第53代・第59代アジアタッグ王座
- チャンピオン・カーニバル(優勝1回/2000年)
- 世界最強タッグ決定リーグ戦(優勝5回/1993年・1994年・1995年・1998年・1999年)
- 1993年新春ヘビー級バトルロイヤル優勝
- プロレスリング・ノア
- 第6代GHCヘビー級王座
- 第6代・第12代GHCタッグ王座(パートナーは2回とも本田多聞)
- GHC無差別級王座(第9代)
- プロレス大賞
- 1989年 新人賞
- 1993年 殊勲賞、最優秀タッグチーム賞
- 1994年 技能賞、最優秀タッグチーム賞
- 1995年 年間最高試合賞
- 1996年 最優秀選手賞
- 1997年 年間最高試合賞
- 1998年 最優秀選手賞、年間最高試合賞
- 1999年 最優秀タッグチーム賞
- 2003年 殊勲賞、年間最高試合賞(3/1日本武道館、GHCヘビー級選手権
- 2004年 年間最高試合賞
- 2005年 年間最高試合賞
- 2007年 カムバック賞、年間最高試合賞
- 2011年 年間最高試合賞
小橋建太の名勝負
晩年は病気に苦しみ、怪我も多かった小橋選手ですが、やはりいちばん印象深いのは三沢さんや川田選手らとの死闘ですね。
田上明さんと仲が良かったことから、度々タッグを組む機会もありましたが、タッグマッチでのベストファイトも多い選手でした。
得意技が多い中で定番になった逆水平チョップの連打は見ているファンに熱い気持ちを沸き起こさせてくれる存在感のある選手でした。
まとめ
この記事では努力と真面目さでトップレスラーに駆け上がった小橋建太選手の経歴をまとめていきました。
努力だけでは乗り越えられない病と戦う姿勢は多くの人に感動と勇気を与えてくれる存在です。
選手として試合ができないときでもファンサービスを休まなかった小橋さんは真のレスラーだと思います。
また、あの勇姿をリングでみたいですね。