高松市美術館長の篠原資明が国際オリンピック委員会会長のバッハ会長を「ばっ 墓萎凋」と表現したり聖火ランナーを「世禍乱 なぁ」とツイートされているのがニュース記事になっていました。
この記事を踏まえて、篠原資明さんがどのような人物なのか、学歴や経歴をまとめていきたいと思います。
更に篠原資明さんが生み出した「超絶短詩」なるものがどのようなアートなのかを情報を元にしてお伝えしていきます。
目次
篠原資明の学歴・経歴

画像参照:ワコールボディーブック
オリンピックが間近に迫ろうとしている中、多少揶揄されているようにも解釈できるツイートをされていた、篠原資明さんについてどのような経歴を持つ方なのかをまずはまとめていきます。
篠原資明の経歴
篠原資明高松市美術館館長(京大名誉教授)、IOCバッハ会長を「ばっ墓」と投稿⇒削除 https://t.co/LAHhuqy6JC
— えら呼吸速報 (@er_newsnet) March 2, 2021
名前 篠原資明(しのはら もとあき)
出身 香川県
生年月日 1951年生まれ
年齢 70歳
【学歴】
出身大学 京都大学文学部哲学科
京都大学大学院文学研究科美学美術史学専攻博士課程単位取得
京都大学文学部助手
大阪芸術大学助教授
東京芸術大学専任講師
京大総合人間学部助教授
京大人間・環境学研究科教授
現在は高松市美術館館長
篠原資明さんは哲学や美学が専門で芸術的感度が非常に高い方だと経歴を読ませていただいて感じました。
京都大学の「美学美術史学」という学科はあまり聞き慣れない学科ですが、一体どのような学問を教えてくれるのか気になりました。
美学美術史学とは、芸術作品を論理的に考察して歴史をたどる研究をされているようです。
つまり、歴史的な芸術品や作品をどのような背景で作者は制作したのか、歴史的な背景などを鑑みて美的な作品の背景を論理的に解き明かしていくという学問のようです。
京都大学といえば西の東大という異名がある通りかなり偏差値も高く、頭の作りが一般の方と違うように感じてしまいますが、哲学や美学を追求される方というのは
なにか違う視点を持っているように思いますね。
篠原資明のツイートが削除された理由
篠原資明さんがツイートした言葉の表現がちょっとした話題になっています。
国際オリンピック委員会会長のバッハさんの事を「ばっ 墓萎凋」と表現することがどれほど世界的に影響を与えるのかは不明です。
ただ、五輪が開催されるのか、中止となるのか微妙な雰囲気の中での篠原資明さんのツイートは、やや物議を醸す内容になる可能性があります。
世界中が混乱の次期の中、更にオリンピックの組織委員会のゴタゴタの中での今回のようなツイートは注目を集めてしまうものです。
篠原資明さんのツイート内容は現在削除されているようですがアートや芸術とおっしゃっているが、世間の反応としてはヒヤヒヤものだと思いますね。
超絶短詩の意味や「かいかい死期」はアート?
篠原資明さんが生み出した超絶短詩という詩の表現方法は、実は方法氏というもので、自ら生み出して型が無い短い詩というのが以前からあるようです。
詩的な芸術というものは奥が深いものですが、いずれの作品は本当にアートと呼べるようなものなのか、作品を覗いて行きたいと思います。
超絶短詩とはどういう意味
超絶短詩というものは篠原資明さんが提唱する史上最短の詩の型です。
先程もバッハ会長の事を「ばっ 墓萎凋」と表現したように、言葉の表現を買えるだけで全く違う性質の言葉に変化することを楽しむ詩のようです。
短歌や俳句など詩の中にストーリーや情景を感じる詩の型があるのですが、この超絶短詩にはそのような情景やストーリーを感じるのはかなり美的な感覚が高くなければ難しいようにも感じます。
「かいかい死期」がアートかと言われると、難しい判断になります。
篠原資明さんのツイートで話題になった作品は、オリンピック関連の言葉が多いことが、注目を集めるきっかけになります。
オリンピックの時期ではなく、全く関係の無い言葉だったら今回のように話題にならないので、「かいかい死期」=開会式という表現は攻めすぎたようにも思います。
子供の知育学習に最適!
個人的には、篠原資明さんが提唱する超絶短詩は子供の語学学習や知育教育に活用できるかもしれませんね。
超絶短詩の例としていかのような作品があります。
「嵐」なら「あら 詩」
「赤裸々」なら「背 きらら」
「哲学者」なら「鉄が くしゃ」
本来の意味を持つ単語を表現を変えることで真逆の意味を持つ言葉や、突拍子も無い表現になることがこの超絶短詩の面白いところなのかもしれません。
ちなみに、超絶短詩の大賞に選ばれている作品を拝見すると原型が無いくらい言葉の持つ意味が変わっていることがわかります。
おっ 都政(オットセイ)
都政が変わったことを表現されているのかオットセイとなんの関係性も感じさせないところに美的感覚がくすぐられるように思います。
美的なものや作品というものは、その人がどう受け取るのかということが重要だと思います。
篠原資明さんも、過去につぶやいたオリンピック関連の超絶短詩は決して悪気があったわけでもなく、政治的背景が無いと発言されていますので、芸術としての言葉遊びとして受け止めていただけることが、篠原さん本人にとっての気持ちなのかもしれませんね。
篠原資明の学歴・経歴~まとめ
この記事では、篠原資明さんの超絶短詩がちょっとした物議を誘っていることで、篠原資明さんの学歴・経歴と超絶短詩について情報をまとめていきました。
芸術というものは奥が深く、踏み込む力によって、理解されたり理解に苦しむという不思議な学問のように思います。
それだけに今回の篠原資明さんのアートは、少し攻めすぎたようにも受け取れますが、受け取り方によっては、問題になる可能性を秘めていることがもしかしたら、ツイートを削除した理由なのかもしれませんね。