プロレスの偉人・伝説的なスター性があるレスラーの経歴や偉業をまとめていきます。
プロレスは時代とともにスター選手が誕生しています。
年代によっては好きなレスラーも変わりますが、普遍的にカリスマを持つレスラーはプロレス好きなら誰もが知っている方が多いですよね。
この記事ではカリスマ性・スター性を兼ね備えたレスラーの経歴や過去の偉業をまとめていきます。
今回ご紹介するレスラーは武藤敬司選手です。
天才という言葉は彼のために存在する言葉と言わしめた「プロレス界の至宝」です。
武藤敬司さんの経歴をまとめていきます。
目次
武藤敬司の経歴
本名 | 武藤 敬司 |
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異名 | プロレスリング・マスター ナチュラル・ボーン・マスター スペース・ローン・ウルフ クロス・ウィザード 天才 ときめきのバージンレッド セクシー・ターザン |
身長 | 188cm |
体重 | 110kg |
誕生日 | 1962年12月23日(57歳) |
年齢 | 57歳(2020年12月現在) |
出身地 | 山梨県富士吉田市 |
グレート・ムタとしても活躍、変幻自在なわざと切れのある体捌きは天才の名を欲しいままにした。
少年時代
武藤選手は生まれた頃の体重は4000gで幼少期から体格も良く身長が高かった。
山梨県出身の無糖少年は小学校2年生のときに、ドラマ「柔道一直線」を見て柔道を習い始める。
学年では一番身長が高いが、バク転やバク宙、鉄棒の大車輪をできるほどの運動神経の良さは幼少期からの天性のものだったと言われる
小学校5年生のときには、柔道と並行して少年野球チームにも入り、エースで4番を任されている。
どんな競技でもすぐにマスターしてしまう運動神経でした。
武藤敬司のスポーツ経験
スポーツ歴 柔道・野球
小学生時代は野球
中学生に上がると一度は野球部に入部下が、その後柔道部に転部をする。
中学3年生までに初段黒帯を取得して、高校生では国体出場。
全日本強化指定選手にも選ばれる学校に進学をしている。
武藤敬司はアイドルレスラー
当時のレスラーといえばいかつい男くさい方ばかりが主流でした。
武藤敬司さんが新日に入団してからは女性ファンが増えましたね。
当時は闘魂三銃士として蝶野、橋本とともに新日の次世代のスタートして大活躍をしていました。
当時の武藤さんは破格の待遇で期待されていました。
普通であれば若手選手は「ヤングライオン杯」で優勝することで海外遠征が用意されているのですが、当時の武藤選手は猪木さんや藤原組長などとスパーリングをできるくらいのスキルの高さから、異例の海外遠征をしています。
誰もが知っているグレート・ムタの全身のヒールとしてのキャラクターも遠征で出来上がりました。
普段のファイトスタイルはストロングスタイルでベビーフェイスですが、ムタとしての人気も絶大なものでした。
小気味の良い切れのある動きから、スタイリッシュで洗練された技の一つ一つはファンを魅了しましたね。
武藤敬司の家族構成
武藤敬司さんの家族は4人です。
奥さんは元タレントの芦田久恵さんです。
娘さんと息子さんの4人家族です。
武藤さんの家族は度々テレビの番組で紹介されたりしています。
最近ではモニタリングという番組で娘さんに彼氏ができたらというドッキリ企画もされていましたね。
娘さんを溺愛している様子は普段見れないけど、最近では武藤選手のプライベートのパパぶりが結構取り上げられていますよね。
武藤さんの長男はレスラーにはなっていないようですね。
今後もしかしたら天才の2世が誕生するかもしれませんね。
武藤敬司のレスラーとしての偉業
天才レスラー武藤敬司の偉業をまとめていきます。
武藤敬司の必殺技
武藤選手の必殺技や得意技をまとめていきます。
フィニッシュ・ホールド
- 足4の字固め
- シャイニング・ウィザード(閃光魔術/閃光妖術)
- ムーンサルトプレス(月面水爆)
関節技、締め技
- ボストンクラブ
- ハーフボストンクラブ
- 腕ひしぎ十字固め
- 指極め十字固め
- 飛びつき式膝十字固め
- リバース・インディアン・デスロック
- 鎌固め(ムタロック)
- 卍固め
- キーロック
- 胴絞めドラゴンスリーパー
- STF
- ナガタロックII
- 首4の字固め
打撃技
- エルボー
- エルボー・スタンプ
- 逆水平チョップ
- チョップ・スマッシュ
- ラリアット
- ムタチョップ
- ハイキック
- スペース・ローリング・エルボー
- フラッシング・エルボー
- ドロップキック、ミサイルキック
- ローリングソバット
- バック宙キック
- フロントロールキック
- 拝み渡り
組み技
- ドラゴン・スクリュー
- ネック・スクリュー
- フランケンシュタイナー
- ジャーマンスープレックス
- ドラゴン・スープレックス・ホールド
- シュミット式バックブリーカー
- フェイス・クラッシャー
- パイルドライバー
- 念仏パワーボム
その他
- 毒霧
- 火炎攻撃
- プランチャ
- 噛み付き
基本技の原型となるのは柔道の絞め技が頻繁に使われています。
蹴り技や飛び技など多彩でムタ変身後に使用する技はヒールなものが多い
獲得タイトル
- ワールド・チャンピオンシップ・レスリング
- NWA世界ヘビー級王座:1回
- NWA世界TV王座:1回
- WCW世界タッグ王座:1回
- バトルボウル(1992):優勝
- チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
- NWAフロリダ・ヘビー級王座:1回
- コンチネンタル・レスリング・フェデレーション
- NWA USジュニアヘビー級王座:1回
- ワールド・レスリング・カウンシル
- WWC TV王座:1回
- WWCプエルトリコ・ヘビー級王座:1回
- 全日本プロレス
- 三冠ヘビー級王座:3回
- 世界タッグ王座:5回
- 初代F-1タッグ選手権
- チャンピオン・カーニバル優勝:3回
- 2011年新春ヘビー級バトルロイヤル優勝
- 世界最強タッグ決定リーグ戦優勝:3回(
- 2011年新春ジュニアヘビー級バトルロイヤル優勝
- 新日本プロレス
- IWGPヘビー級王座:4回(第13代、第17代、第24代、第49代)
- IWGPタッグ王座:6回
- グレーテスト18クラブ王座:1回
- G1 CLIMAX優勝:1回
- G1 TAG LEAGUE(SG TAG LEAGUE)優勝 :5回
- WRESTLE-1
- WRESTLE-1チャンピオンシップ:1回
- 1986年プロレス大賞 新人賞
- 1989年プロレス大賞 特別功労賞
- 1990年プロレス大賞 最優秀タッグチーム賞
- 1995年プロレス大賞 最優秀選手賞
- 1998年プロレス大賞 殊勲賞
- 1999年プロレス大賞 最優秀選手賞、ベストバウト賞
- 2001年プロレス大賞 最優秀選手賞
- 2005年プロレス大賞 最優秀タッグチーム賞
- 2008年プロレス大賞 最優秀選手賞
- 2011年プロレス大賞 ベストバウト賞
武藤敬司の名勝負
武藤敬司さんのベストバウトをまとめていきます。
印象深い試合はたくさんありますが、ムタとしてのファイトよりも、必死な武藤さんの試合は個人的に大好きです。
武藤敬司さんはプロレスラブを掲げている通り、プロレスらしさをかなり重要視しています。
そういう意味ではプロレスをバカにするような団体や個人をあまり好みません。
Uインターとの全面対決での高田戦は良かったですね。
古典的なプロレス技で相手をねじ伏せてしまったことにプロレスファンは相当熱く燃えました。
団体戦としての武藤さんのちからの入れようは個人的に大好きですね。
他にもベストバウトはあるのですが、個人的に好きな試合は、天山広吉さんとの再戦です。
新たな新時代の幕開けで次世代のレスラーが武藤を潰しにかかります。
山で修行をした武藤選手が天山選手を挑発にリングにヒゲ姿で登場したのがマジでかっこよかった。
その後試合は武藤さんが勝ちましたが、それまでの流れがいいですね。
武藤敬司のプライベートの素顔・逸話
武藤選手はそのルックスと天才と言われる技ですぐに人気レスラーになりました。
メディアにも多く出演する機会が多い武藤さんですから、映画出演やタレント業もこなすマルチな才能があります。
リップサービスの旨さも定評がありますよね。
性格は義理堅く、三沢さんとの垣根を超えた戦いも、躊躇なく勧めていました。
プロレスの一番のファンは武藤さんですね。
入門当初はきつい練習で当時指導係のマサ斉藤さんに1週間でやめたいと言っていたが、普通のレスラーであれば、すぐに辞めさせていたのですが、その才能の持ち主をやめさせたくないということで、あと少し頑張れと言ったそうです。
後にマサ斉藤さんとのリング状での対戦は涙モノでした。
まとめ
この記事では天才レスラーとして全日の社長を経験した武藤敬司さんの経歴をまとめていきました。
武藤さんの試合は誰もがファンになってしまう楽しい試合で、見ている人を魅了するものでした。
本当にプロレスが好きな人があのようにスターになるのは運命ですね。