プロレスの偉人・伝説的なスター性があるレスラーの経歴や偉業をまとめていきます。
プロレスは時代とともにスター選手が誕生しています。
年代によっては好きなレスラーも変わりますが、普遍的にカリスマを持つレスラーはプロレス好きなら誰もが知っている方が多いですよね。
この記事ではカリスマ性・スター性を兼ね備えたレスラーの経歴や過去の偉業をまとめていきます。
今回ご紹介するレスラーはスタンハンセンさんです。
全盛期のスタンハンセンは強すぎて、アメリカマットで活躍していましたが、クラッシャーという異名の通り、対戦する相手がいなくなり日本で大ブレイクしたレスラーです。
外国人レスラーとしてはトップクラスの強さのハンセンさんの経歴をまとめていきますね。
目次
スタンハンセンの経歴
リングネーム | スタン・ハンセン |
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本名 | ジョン・スタンリー・ハンセンII世 |
ニックネーム | 不沈艦 ブレーキの壊れたダンプカー テキサスの暴れん坊 バッドボーイ |
身長 | 192cm – 195cm |
体重 | 135kg – 140kg |
誕生日 | 1949年8月29日 |
年齢 | 71歳(2020年12月現在) |
出身地 | アメリカ合衆国 テキサス州 ノックス郡ノックスシティ |
所属 | 全日本プロレス |
スポーツ歴 | アメリカンフットボール |
トレーナー | ドリー・ファンク・シニア ドリー・ファンク・ジュニア テリー・ファンク |
デビュー | 1973年1月1日 |
引退 | 2001年1月28日 |
不沈艦というニックネームで日本の全日マットで大暴れしたスタンハンセンさんの経歴をまとめていきます。
全日時代の全盛期は若さあふれるファイトでダンプカーのような勢いとレスラーとして完成してきた円熟期には「ウエスタンラリアット」で何人ものレスラーをマットに沈めてきた、暴れん坊はまさに外国人レスラーでトップクラスの強さを誇ります。
アメリカで活躍できなくなった理由
ウエスト・テキサス州立大学卒業後に、プロフットボール球団の当時のボルティモア・コルツサンディエゴ・チャージャーズに入団します。
しかし解雇されて、故郷の中学校で教師として働いていました。
当時から進行があったテリー・ファンクからプロレスにスカウトされてレスラーの道へ進みます。
1974年10月10日にUSタッグ王座を獲得して、力量もついてきました。
1976年頃にWWWFのリングに上がります。
アメリカマットで活躍が期待されてスタンハンセンが一躍有名になった事件ンとして、当時のWWWFヘビー級王者の首を骨折させたことがウエスタンラリアットだという触れ込みが広まって有名になりました。
しかし、その一見でスタンハンセンは壊し屋という異名を付けられて、対戦相手が見つからず、次第に追われるようにアメリカマットを去りました。
強すぎるスタンハンセン
スタンハンセンは全日マットに移籍することになり、正式に全日のレスラーとして再出発をしました。
スタンハンセンの強さはリアルにテレビを見ていた当時から頭一つ抜いて強かった印象がありますね。
ウエスタンの衣装とムチを片手にお客さんにも向かっていく荒ぶる姿勢は会場で見ているお客さんでも怖かったくらい暴れていました。
日本人レスラーとはちょっとスタイル的に噛み合わない様子がありました、独特なファイトスタイルというか、流れが全く読めない戦い方をしていましたから双方に戸惑いがあったかも知れませね。
ただ、当時の最強コンビとしてはブローザーブロディーとのタッグはあまりにも強かったですね。
今現在までのタッグチームでも最強だと思うほどやたらと強かったです。
「ミラクルパワーコンビ」1983年4月12日にインターナショナル・タッグ王座も獲得している。
スタンハンセンの全盛期の凄さ
スタンハンセンはなぜあんなにも強かったのか、ちょっと分析してみました。
まず必殺技としての「ウエスタンラリアット」は破壊力抜群です。
通常のラリアットとは違い、力で相手をなぎ倒すというよりも振り払うという表現があっているかも知れませんね。
円熟期のハンセンのラリアットは三沢さんや川田さんらが一回転している様子があるように相当顎の部分を狙っていると思います。
ハンセンさんのラリアットを耐えて受けることは結構ダメージが大きいですね。
必殺技の威力ももちろんありますが体がとてもしなやかで緩急のある力の入れ方をしています。
腕のフリのスピードが早いのか、ノーモーションでラリアットが来ますし、体重のかけ方が絶妙にうまいです。
更に演技力もかなりうまいですね。
わざと弱ったふりをして、急に相手を襲うシーンはよく見ました。
なりふり構わないというか、ちょっと卑怯な一面もありますし、見せてくれるレスラーでしたね。
スタンハンセンの家族構成
スタン・ハンセンさんは日本人の奥さんと、息子2人、娘さん一人いらっしゃいます。
息子さんの一人はシアトル・マリナーズに入団しているようですね。
お父さんの影響を受けてレスラーになるご子息はいないようですね。
ハンセンさんは今では地元で主夫業をされているようですが、リングを降りた不沈艦は意外と家庭的なんだという印象がありますね。
必殺技・獲得タイトルやベストバウトは?
不沈艦としてのレスラーの偉業をまとめていきます。
スタン・ハンセンの必殺技
- ウエスタン・ラリアット
エルボー・ドロップ
- スリーパーホールド
- ショルダー・ブロック
- ショルダー・バスター
- ドロップキック
- 逆エビ固め
- 抱え式バックドロップ
- サッカーボールキック
獲得タイトル
- NWAトライステート
- NWA北米ヘビー級王座
- NWA USタッグ王座
- NWAビッグタイム・レスリング
- NWAテキサス・ヘビー級王座:1回
- NWAテキサス・タッグ王座:1回
- ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
- NWAコロンバス・ヘビー級王座:1回
- NWAジョージア・ヘビー級王座:2回
- NWAジョージアTV王座:1回
- NWAジョージア・タッグ王座:3回
- ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング
- NWA世界タッグ王座(ミッドアトランティック版)
- コンチネンタル・レスリング・アソシエーション
- CWAインターナショナル・ヘビー級王座:1回
- アメリカン・レスリング・アソシエーション
- AWA世界ヘビー級王座:1回
- ワールド・チャンピオンシップ・レスリング
- WCW USヘビー級王座:1回
- 新日本プロレス
- NWFヘビー級王座:1回
- 全日本プロレス
- インターナショナル・ヘビー級王座:1回
- インターナショナル・タッグ王座:1回
- PWFヘビー級王座:4回
- PWF世界タッグ王座:4回
- UNヘビー級王座:1回
- 三冠ヘビー級王座:4回
- 世界タッグ王座:8回
- チャンピオン・カーニバル – 2度優勝。(1992年、1993年)
- ワールド・レスリング・エンターテインメント
- WWE殿堂:2016年度
スタンハンセンのベストバウト
スタンハンセンのベストバウトとしては、ホーガン戦が印象に残っていますね。
緊急に決まったカードではありますが、その状況でも快く受けたハンセンの懐の広さはインパクトが有りました。
その他にも、全日マットで繰り広げた死闘は記憶にありますね。
特に小橋、川田、三沢との命を削る戦いは胸を打たれます。
ヒールに徹したハンセンだからこそ、日本人レスラーの輝きが一層目立つのですが、ハンセンさんとのベストバウトに一番印象にあるのがジャンボ鶴田さんとの三冠統一です。
場外乱闘で未成立出終わりましたが、ジャンボ鶴田もハンセンもお互いがヒール技を出して、感情むき出しの喧嘩のような試合はマニアにはたまりません。
スタンハンセンのプライベートの素顔・逸話
ヒールレスラーとしてイメージがありますが、その反面社交的で友人思いの一面もあります。
リングを降りると仲間を大事にするハンセンさんは実は人情に熱い人だったんです。
その逸話として、アントニオ猪木の30周年記念セレモニーに駆けつけているが、同日のジャイアント馬場30周年記念試合にも出場するなど、両者の顔を立てるなど律儀な人間性だった。
まとめ
この記事では、スタンハンセンさんの経歴についてまとめていきました。
外国人レスラーとしても最強と言われるラリアットを武器に、幾度もタイトルを総なめにしてきた全日マットには欠かせないレスラーでした。
憎たらしいほど強くて、それ故にメインマッチは盛り上がりました。
ヒールが強ければ、ベビーフェイスが際立つので本当に悪役に徹してくれて感謝ですね。