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天龍源一郎の経歴や必殺技!取得タイトルや伝説は?

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プロレスの偉人・伝説的なスター性があるレスラーの経歴や偉業をまとめていきます。

 

プロレスは時代とともにスター選手が誕生しています。

年代によっては好きなレスラーも変わりますが、普遍的にカリスマを持つレスラーはプロレス好きなら誰もが知っている方が多いですよね。

 

この記事ではカリスマ性・スター性を兼ね備えたレスラーの経歴や過去の偉業をまとめていきます。

今回ご紹介するレスラーは天龍源一郎さんです。

 

引退をしてもタレントとして活躍する天龍さんの個性の強い経歴や逸話をまとめていきます。

 

目次

天龍源一郎の経歴

リングネーム 天龍 源一郎
本名 嶋田 源一郎
ニックネーム ミスター・プロレス
風雲昇り龍
モンスター大将
ハッスル大将
身長 189cm
体重 120kg
誕生日 1950年2月2日
年齢 70歳(2020年12月現在)
出身地 福井県勝山市
所属 天龍プロジェクト
スポーツ歴 大相撲

 

生ける伝説としてこの方の活躍はすべての人に勇気を与える存在ですよね。

最近ではタレントとしても活躍する天龍源一郎さんの魅力についてまとめていきますね。

 

少年時代

 

福井県勝山市に農家の長男として生まれた天龍選手は、農家の生まれということで小さい頃からお米をたくさん食べて大きくなりました。

 

中学2年ですでに182cm、82kgという体格の良さですが、体が大きいことがコンプレックスになっていたとあります。

 

勉強は苦手で周囲からもからかわれていたそうですね。

 

幼少期は相撲や野球を見ることが大好きでメジャーな選手よりも強い選手に立ち向かう方が好きだったようですね。

 

当時の時代背景が学校に行くよりも家事を手伝うという世代だったので理不尽に感じながらも農家の手伝いをしていたそうです。

 

 

 

 

 

天龍源一郎のスポーツ経験

 

幼少期の頃から、相撲や野球が大好きだった嶋田少年は小学校時代から包含投げや、リレー選手に選ばれたようです。

 

中学校に入ると柔道部や野球部と、少年時代はほとんどの運動部の試合に引っ張りだこみたいです。

そのなかでも相撲は楽しくて、小学5年生からは中学生に負け無しという伝説もあったそうですね。

 

天龍源一郎のレスラーのきっかけ

 

幼少期から、農業の手伝いをしていたことと、生まれ持っての体格の良さは、力士としてもレスラーとしても十分に通用する恵まれた体型だということがわかります。

 

しかし、運命のいたずらか角界では大成することはありませんでした。

希望している方向へ進むことは周りの環境などに翻弄されたことが要因ですが、力士としてはかなり期待をされていた部分があったようですね。

 

ただ、当時のことを天龍源一郎は強い力士が泥だらけになって練習している姿を見て「ダサい」という思いがあったそうです。

 

自身でも「相撲をなめていた」ということがあったそうです。

 

様々なことがあって、人との縁でジャイアント馬場さんを紹介してもらったことがレスラーになるきっかけでした。

 

その背景にはスポーツ紙にレスラーになることを公表されたことで引くに引けずにレスラーへの転身をされたことも要因ですね。

 

 

天龍源一郎の家族構成

天龍源一郎さんの家族構成は3人です。

 

奥さんと娘さん(既婚)です。

一人娘は天龍プロジェクトの代表も務めています。

 

結婚することを言われた天龍さんはチョップを食らう前の身構えた姿だったそうです。

多分寂しかったでしょうね。

 

 

天龍源一郎のレスラーとしての偉業

鉄人としての異名を誇る65歳まで現役をされていた天龍源一郎さんのレスラーとしての偉業をまとめていきます。

 

天龍源一郎の必殺技

真正面から相手の攻撃を受けて、真っ向勝負をかけるファイトスタイルは見るものに勇気を与える男です。

 

天龍源一郎さんと戦った相手は、技を出し魅力を引き出してもらえることから、対戦相手を立たせるスタイルとしてこの人の右に出るものはいないでしょうね。

 

最後の試合でも、世代交代を印象づけるために、あえてオカダカズチカにたくさんの技を出させた男意気は感動モノでした。

 

 

パワーボム
53歳
垂直落下式ブレーンバスター
ノーザンライト・ボム
DDT
天龍稲妻落とし
逆水平チョップ
起き上がりこぼし式逆水平チョップ
グーパンチ
顔面蹴り
延髄斬り
龍魂ラリアット
背面式ダイビング・エルボー・ドロップ
WARスペシャル
テキサス・クローバー・ホールド
卍固め
ショルダー式ネックブリーカー
雪崩式フランケンシュタイナー
スパイダー・ジャーマン→背面式ダイビング・エルボー・ドロップ の連携技
ジャーマン・スープレックス・ホールド
浴びせ蹴り
トペ・スイシーダ
凶器攻撃
毒霧

獲得タイトル

全日本プロレス
  • 三冠ヘビー級王座(第2代、第26代、第29代)
  • 世界タッグ王座(第4代、第8代、第10代、第11代、第44代)
  • アジアタッグ王座(第76代)
  • PWFヘビー級王座(第13代)
  • UNヘビー級王座(第25代、第26代)
  • PWF世界タッグ王座(第6代)
  • インターナショナル・タッグ王座(第36代、第38代)
  • チャンピオン・カーニバル優勝(2001年)
新日本プロレス
  • IWGPヘビー級王座(第25代)
  • IWGPタッグ王座(第35代)
WAR
  • 日本J1王座(初代)
  • WAR世界6人タッグ王座(第5代、第13代)
ハッスル
  • ハッスルスーパータッグ王座(初代)
WJプロレス
  • WMGタッグ王座(初代)
天龍プロジェクト
  • 天龍プロジェクト認定世界6人タッグ王座(第3代)
その他
  • NWAミッドアトランティック・タッグ王座
  • NWA世界6人タッグ王座

 

天龍源一郎の名勝負

 

 

天龍源一郎さんは他団体を複数渡り歩いた異例のレスラーとしても有名です。

そのファイトスタイルは喧嘩のようなかなり乱暴に見えるファイトスタイルですが、相手を引き立てるスタイルは当時から変わらず、根性比べをしているかのような戦い方は、男性のファンが多い理由でもありますね。

 

数々の名勝負がありましたが、やはりいちばん記憶に鮮明に残っている試合といえば、リングを去る直前のオカダカズチカとの世代交代のファイトです。

 

新日本を背負うオカダカズチカと戦うことはあまりにも無謀な戦いでした。

ただ、魂を引き継ぐためにはこの戦いは絶対に必要なことだと感じさせてくれるその心意気に私は見ていて密かに涙したものです。

 

65歳という年齢でリングに立つという恐怖や、これまでの経験を背中で教えているようなそんな試合でした。

 

天龍源一郎さんのようなレスラーがまたいなくなるのは本当に寂しいですね。

 

 

 

 

 

天龍源一郎のプライベートの素顔・逸話

 

今でこそ、天龍源一郎さんはお笑い番組などでも可愛らしいキャラクターで愛されていますが、若かりし頃の天龍さんは本当に怖い人でした。

 

流血試合もたくさんありましたし、凶器攻撃も多々ありましたね。

当時のプロレスファンといえば、筋もののファンの怒声が飛び交うリングが今では女性ファンの黄色い声援にあふれていることが想像をつかないですね。

 

そんな世代を乗り越えてきた天龍さんは、後輩思いで事あるごとに次世代のレスラーの思いを代弁してくれる頼れる兄貴的な存在でした。

 

当時のエピソードとしては、小橋建太さんがまだ活躍していない若手の頃、川田利明選手があいつからバーベルを取り上げたら何もできないという言葉を発したときに、「今にあいつに食わしてもらう時が来るぞ」というフォローをされていました。

 

このような若い可能性のある若手の肩をもって、激励してくれる先輩がいてくれるからこそ、若手は頑張って練習ができるわけですね。

 

今の時代こそ天龍さんのような方がいてほしいと思いますね。

 

 

まとめ

 

この記事では元力士としてレスラーに転身して伝説となったレスラー天龍源一郎さんについてまとめていきました。

 

言葉数は少ないですが、大事なときに若手を助けてくれる男気のあるレスラーで、いろんな団体で活躍してきた、最高齢でこれほどパワーのあるレスラーは見たことがありません。

 

最後の試合を終えた天龍さんには本当にご苦労さまでしたと言いたいですね。

 

感動をありがとうございました。

 

 

 

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