プロレスの偉人・伝説的なスター性があるレスラーの経歴や偉業をまとめていきます。
プロレスは時代とともにスター選手が誕生しています。
年代によっては好きなレスラーも変わりますが、普遍的にカリスマを持つレスラーはプロレス好きなら誰もが知っている方が多いですよね。
この記事ではカリスマ性・スター性を兼ね備えたレスラーの経歴や過去の偉業をまとめていきます。
今回ご紹介するレスラーは「蝶野正洋」さんです。
闘魂三銃士として更にはNWOなど影響力のあるカリスマレスラーとしての素顔はどんな人なのかをまとめていきます。
目次
蝶野正洋の経歴
リングネーム | 蝶野 正洋 |
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本名 | 蝶野 正洋 |
ニックネーム | 黒のカリスマ 黒の総帥 極悪バタフライ 夏男 ミスターG1 |
身長 | 186cm |
体重 | 108kg(全盛期) |
誕生日 | 1963年9月17日 |
年齢 | 57歳 |
出身地 | アメリカ合衆国ワシントン州シアトル生まれ 東京都(渋谷区、三鷹市)育ち |
所属 | ARISTRIST |
スポーツ歴 | サッカー |
トレーナー | アントニオ猪木 ルー・テーズ 山本小鉄 |
蝶野正洋は暴走族?悪い人?
悪のカリスマとして新日マットでは興行を大成功させた立役者としても有名な蝶野正洋さんは、父親の仕事の都合で生まれがアメリカという経歴を持っています。
そのファイトスタイルは喧嘩技の印象が強く特に「ケンカキック」というキック技は有名ですよね。
風貌はちょっといかつい感じでスが、リアルに青年時代は三鷹で暴走族をしていて、結構名前が知れ渡っていたほどでした。
ヤングライオン時代からその風貌はすでに完成されたルックスでしたね。
見た目から悪い人だという印象もありますが、実は礼儀正しくて真面目な方というのがテレビ番組などでもよくわかりますね。
蝶野正洋のスポーツ経験
蝶野さんはレスラーとして成功した方ですが、実はそのスポーツ経験が以外すぎるジャンルでした。
小中高とサッカーをやっていました。
無類のサッカー好きです。
サッカー選手からレスラーになった方というのはかなり珍しくて、これほどまで有名でレスラーとしても知名度が高い選手は聞いたことがありませんね。
蝶野正洋ブレイクのきっかけ
蝶野正洋さんはデビューから順調にレスラーとしての力量をつけてきました。
夏の男と言われるくらい暑い時期に開催されるG1CLIMAXでは勝負強さを発揮していました。
白と青のタイツ時代の頃はどちらかというとベビーフェイスとして活躍していたのですが、1994年のG1CLIMAX優勝後に突然キャラチェンジしたのが印象的でしたね。
ここから蝶野正洋のスター伝説が始まったと思いますね。
NWOのTシャツは本当にかっこよくて、ヒールチームなのにあれほど人気があるのはコンセプトがしっかりしているからでしょうね。
武藤敬司がNWO加入をしたときは度肝を抜きましたね。
かっこいい軍団でTシャツの売上もかなりあったようですね。
1994年のヒール転向から入場曲も変わりましたが、あの曲は蝶野さんにピッタリですね。
悪のカリスマとして、テレビ番組ににも引っ張りだこですよね。
誰もが知っている番組としては年末のガキ使が楽しみの方も多いです。
蝶野正洋の家族構成
蝶野さんには海外の奥さんがいて、息子さんと娘さんの二人のお子さんがいます。
テレビで以前奥さんとの会話などが放送されていましたが、かなり強い奥さんで、あの蝶野さんが尻に敷かれるほどの迫力のある奥さんです。
お顔はすごくきれいでドイツ遠征中に出会ったようですね。
26歳で結婚した蝶野さんですが、夫婦げんかは英語でやるそうですね。
蝶野正洋のレスラーとしての偉業
夏の覇者として悪のカリスマとして新日マットで暴れた蝶野さんの偉業についてまとめていきます。
蝶野正洋の必殺技
蝶野さんの必殺技はシンプルで破壊力のある技が多いですね。
有名な技として「ケンカキック」「STF」が有名ですね。
- ケンカキック(ヤクザキック)
- シャイニングケンカキック(シャイニングヤクザキック、シャイニングブラック)
- スライディングケンカキック(スライディングヤクザキック)
- STF
- クロス式STF
- 原型STF
- 元祖STF
- STS
- FTS
- 裏原型STF
- 裏STS
- バタフライロック
その他得意技
- バックドロップ
- ダイビングショルダーアタック
- ダイビング・ローリング・クラッチ・ホールド
- CTC
- ゴッチ式パイルドライバー
- G1パワーボム
- ネックブリーカー・ドロップ
- マンハッタン・ドロップ
- エルボー
- フライングニールキック(バタフライニールキック)
- 急所攻撃
獲得タイトル
- ハート・オブ・アメリカ・スポーツ・アトラクションズ
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- NWAセントラル・ステーツTV王座(第32代王者)
- ワールド・レスリング・アライアンス
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- WWA世界ヘビー級王座(第2代王者)
- アトランティック・グランプリ・レスリング
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- AGPW北米タッグ王座:1回(パートナーはボブ・ブラウン)
- ナショナル・レスリング・アライアンス
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- NWA世界ヘビー級王座(第75代王者)
- 新日本プロレス
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- IWGPヘビー級王座(第22代王者)
- IWGPタッグ王座(第12・25・28・33・34・43・48代王者。
- ヤングライオン杯争奪リーグ戦優勝:1回(1987年)
- G1 CLIMAX優勝:5回(1991年・1992年・1994年・2002年・2005年)
- SGタッグリーグ優勝:1回(1997年)
- その他
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- HCWヘビー級王座
蝶野正洋の名勝負
蝶野正洋さんといえば、やっぱりG1CLIMAXからベストバウトが選ばれますね。
5度の優勝をしたことで夏の男という印象が強く、本当に夏の試合は強かったですね。
91年のG1では長州、藤浪、ベイダーという強豪が絶対的に優勝が濃厚だった試合で、橋本を下して見事武藤を撃破して優勝しました。
A:武藤敬司、藤波辰爾、スコット・ノートン、ビッグバン・ベイダー
B:蝶野正洋、橋本真也、クラッシャー・バンバン・ビガロ、長州力
下馬評を覆すいい勝負でしたね。
パワーボムで勝利したシーンは今でも目に焼き付いていますね。
まとめ
この記事では夏の男・悪のカリスマとして有名な蝶野正洋さんの経歴についてまとめました。
海外遠征から帰国後の大活躍は新日マットで一番成功した人だと思いますね。
NWOや名言も多数ある蝶野さんの影響力は誰もが認める新日のスターですね。
G1覇者としてメインを張るようになってあれほどスターになるとは当時リアルタイムで見ていた私としても想像できませんでした。